講師とは落語家であり、人材教育を事業に据える企業は落語協会となれ!

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人材育成サービスを事業化する企業は、受講者に最高の学習効果を提供できる研修プログラムを開発しています。

研修プログラムには講師向けのレッスンプランなるものがあり、それに従って講義を進めれば講師の個人的能力に左右されず、ある一定の成果が受講者へ提供できます。
それが適切に機能すれば、大人数を対象にした研修を複数講師で一斉に実施でき、大きなビジネスとなっていくのです。

企業研修を提供していく組織としては、もっともな方針、方向性といえましょう。

講師のパフォーマンスに頼らない研修プログラムの存在は、その資源自体が組織に残ります。
個人の能力という組織に帰属しきれないものへ、期待しなくてもよいのです。

でもなんだかプロダクトアウトな発想に感じてしまうこともあります。

そこで当方の主張を、ちょいと落語に例えましょう……

当方は何を隠そう、桂枝雀師匠が大好きでご覧のようにDVDを集めています。

 

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 (実はまだ半分の20巻しか持っていません。全40巻を揃える予定です)

高校生の頃、朝日放送の『枝雀寄席』という公開録画へはなんども足を運び、そのたびに笑いで感動する体験をさせていただきました。

先日放映された『情熱大陸』では桂三枝改め文枝師匠が出演されており、創作落語に傾倒した理由が「古典落語には桂枝雀という越えられない存在がいたから」と仰っていました。

そんな尊敬してやまない桂枝雀師匠は、人情物や世話物の区別なく、すべてに独特の笑いを追求されます。
いろんなネタを枝雀流で料理されるのです。

だから同じ「代書屋」という演目でも、桂枝雀版と笑福亭仁鶴版とでは味わいが違うのですね。

 

 

観客はネタよりも落語家を見に来ます。
単に「高津の富」を観たいのではなく、桂枝雀が演じる「高津の富」がよいのです。

 

……ってことは、企業研修の講師も同じような役割だと考えます。

「ロジカルシンキング研修」「プレゼンテーション研修」「プロジェクトマネジメント研修」ってネタです。
古典落語の原作みたいなものであり、誰もが演目にできます。

ただ、講師によって味付けが変わります。
受講者への届け方が異なり、同じテーマでも講師によって評価が違ってきます。

ロジカルシンキングで大笑いさせる。ネゴシエーションで涙させる。
……といったことが講師によって表現され、受講者の学習結果はそこで芽ばえた感情が加わることで、体験として刻まれていきます。
研修を毛嫌いする受講者。ましては経営陣は、おそらく過去にそうした感動を得らなかったのだろうと推察されましょう。

 

このような講師のパーソナリティ自体を、研修プログラム化することは不可能です。

だから人材教育事業会社は、講師という演者を組織的にまとめて魅力ある活動拠点にしていくことも、片やめざしてもらえれば幸いなのですが……。

ま、いろいろとありますからね。

 

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