誰かから何かを依頼され、「そんなん、オレ教えられへんよ〜」など口にした経験があれば、それは“教える人”への序章。
望むか望まざるかは別にして、多くの人たちにはこうした教えるきっかけが訪れてくる。
いま振り返れば、当方は昔から教える場面そのものを作ってきた。
怪獣、漫画、音楽、ブルース・リーの面白さを、長男という絶対的な立場で弟に(無理矢理?)教えてきた。
オーディオ&ヴィジュアル機器・パソコンの知識は、それを買う先輩や同僚・後輩への(強引な?)アドバイスに変わった。
現在は企業研修を通して、ビジネスパーソンに(わずかながら?)行動変化を促している毎日。
いわば、自らが吟味した情報を他者に与えて、何らかの反応を得ることに存在意義を見出しているのだ。
人それぞれ、いろんな背景や過程によって”教える”という行為が発生する。大きく3つのタイプに、その人たちは分類されよう。つまりこうだ……
教える人は、それを生業にしている専門家とそれ以外。後者はさらに、『複数+継続』と『単数+一時的』とに分けられる。
まず専門家。これは【PRO】だ。教える行為そのものに、対価が発生する。当方もこの立場に属している。ただ、この立場は誰からも保障されない。
次に、直接的な金銭のやりとりはないが、教える行為が期待されている【LEADER】。教える対象が複数人にまたがり、継続した育成が求められる上位者など。
そして、個人と個人のつながりや一時的な関係の中で教える必要が出てきた人が、【MEMBER】という具合に区分できるだろう。
これらカテゴリーの違いは、教える人と教わろうとする人との関係性に因るところが大きい。【PRO】ほど互いの立場を自覚しているが、【MEMBER】となれば無自覚な関係だったりする。
さらに自らの成長にあわせ、【MEMBER】から【LEADER】へと役割が移行していくが、教える人自身によるその認識は薄い。だから地位が上がると、「リーダーシップ研修」などに参加させられる訳だ。
【PRO】はその辺りの曖昧さが消えるだけでなく、生き方さえ変えなければならない。……そういえば「わいの人生、えらい変わってもうた」と、自らを振り返る。
とにかく、教えるという行為においても、いろんなスタイルが存在するのだ。
ただ、教える人としての見え方や捉えられ方に個人差があろうが、教えるという取り組み事態には変わりない。だから、この『ネターノート』では、これら多くの教える人に元気を与えたい……と偉そぶる。
